第3子出産いろんなトラブルをどうにか乗り越えて、臨月を迎えた。実際9ヶ月の終わりには子宮口も開き始め、12月に入ってからの検診では、「年は越せそうだね。」と先生に言われ、少し安心した反面「そんなに深刻な状況だったの?」と、正直思った。 先生の予言どおり年は越せ、36週を迎えた。 早く会いたいがために、ウテメリンをのみ切って終了の予定だったけど、元旦から勝手に服用中止。 「まだか?まだか?」 ドキドキしてそのときを待った。 が、その時はいっこうに訪れず、結局毎週検診をむかえてしまう。 その度に、ガッカリして帰宅。 結局、38週頃まで子宮口1cmのままで、39週頃ようやく3cmまで開いていた。 臨月に入ってからずっと「誘発」の催促をし続けたのに、先生にも却下。 38週末の検診では、「来週の検診は多分ないね。」 と言われたのに、結局予定日前日の検診で「誘発」を認めてもらえた。 平成20年1月30日「誘発分娩」で、夕方入院した。 実母と息子に病院まで送ってもらった。 陣痛室の隣の部屋に入り、NSTを夕方つけた。 あれほど不規則な偽の陣痛だったのに、その時は5分間隔。 「もしかして、息子の時と同じで自然に陣痛が来るかも?」 と、期待したが遠のいた。 隣に陣痛室があるから、痛みを耐えてる人の声が聞こえ、3回目の出産とは言えこわかった。 「明朝から始まるんだ・・・。」 そう思うと、やはりこわい。 なるべく聞こえないように、テレビをみて気をそらす。 そして翌日、朝6時から8時まで錠剤の「陣痛促進剤」と1時間おきに服用。 途中浣腸、バルーンなど処置をしてもらった。 だが、有効な陣痛がまったく無い。 助産師さんが頻繁に顔を出してくれる。 そのときに「先生の予定では、8時にバルーンを入れたら9時半には抜け(子宮口が6センチになったら抜けるらしい。)11時半には生まれると予想を立ててる。」と、教えてくれた。 8時頃から点滴での促進剤使用。 だが、まだ規則的な陣痛は無い。 まだまだ余裕。 9時に促進剤を増やす。 その頃から規則的な陣痛がおき、9時半にはバルーンが抜けた。 この頃から、陣痛がきつくなる。 旦那が偶然帰宅していたので、旦那と母に連絡を入れてもらい、私は分娩室へ。実際は分娩室に入った時刻はわからない。 誰もいないまま、一人で分娩室へ。 でも、心細いと言うよりは、早く痛みから解放されたいし、いきみたいし・・・、で大変だった。 陣痛がきつくなり、呼吸が乱れる。 助産師さんは、「赤ちゃんが苦しくなるから、鼻で吸って口で吐いて。」と、いわれる。 必死にやってると、時々逆になったりした。 それでもどうにか持ちこたえ、台をセットし終わりいきみ開始。 先生が来てなかったけど、助産師さんをはじめ、息子の時の担当の師長さんやら他の助産師さんやら・・・、気がついたら先生が来ていた。 分娩台が新しいものに代わり、うまくいきめず赤ちゃんが出てくるまで時間がかかった感じで心配だった。 でも、2~3回くらいだろうか無事に生まれてきてくれて気がついたら産声が聞こえた。 うちの子供たちの事を知ってる師長さんに「元気に生まれたよ。」声を掛けられ、産声を聞きながら涙が出た。 「女の子ですか?」と聞いたら、先生に「信用してなかったのかい?」と、笑いながらつっこまれた。 陣痛から約1時間半の安産だった。 顔を見て、また涙。 「里奈に似てる。」(つまり、旦那似) それだけで嬉しい。 名前は 「みなみ」 旦那がつけました。 心臓はまだわからないけど、22日息子と一緒に「心臓外来」受けてきます。 先日、息子の主治医に聴診器を当ててもらったら 「孔はあいてないみたいだし、足の動脈も触れるから大丈夫そう。」 と言われ、ホッとしました。 まだ気は抜けないけど、まずは一安心です。 ジャンル別一覧
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